神田沙也加さんと母松田聖子さんですが、お二人の仲には確執があり、もう何年も会っていないなど不仲が噂されていました。
報道の中には絶縁状態だったという話もありますね。
神田沙也加さんが生まれた時にはすでにトップアイドルで絶大な人気があった松田聖子さんですから、我々にはわからない葛藤があったのかもしれません。
ということで今回は、神田沙也加さんと母松田聖子さんの仲には確執があったのは本当か、もうすでに絶縁状態だったのか、について調査して行きたいと思います。
この記事に書かれている内容
神田沙也加と母松田聖子の仲には確執があった?
こういう時に思うのは自殺、事故、他殺だから残念というのではなく亡くなったという事実にショックを受けてる。もう彼女から歌声や演技などが新たに生まれてこないという事実は誰にも変えられない。神田沙也加さんは多くの人にとってのマイフェアレディです pic.twitter.com/x7B2pbEk2S
— 一休天使 (@FreedomYoshi) December 18, 2021
神田沙也加さんのプロフィール
- 本名:神田沙也加
- 生年月日:1986年10月1日
- 両親:神田正輝(父) 松田聖子(母)
- 2017年に村田充と結婚するも2019年に離婚
- 女優、声優、歌手として活躍
- ディズニー映画の「アナと雪の女王」ではアナの日本語版吹き替えを担当
大物俳優である神田正輝さんと人気歌手の松田聖子さんの娘さんであることから、2世タレントとしてのプレッシャーもあったでしょう。
しかし、ご自身の努力で実力が認められて、女優や声優、歌手、舞台女優として活躍されていました。
神田沙也加さんと母親の松田聖子には確執があった?
神田沙也加さんが生まれた頃にはすでに大スターだった松田聖子さん。
そのため不自由を感じることも多かったようです。
パパラッチに追われたり、いじめにあったり。。
松田聖子さんの仕事の関係でアメリカに転校したり、いじめが原因で何度も転校を経験されているようですから、神田沙也加さんと松田聖子さんの間に何らかの確執や不仲説があってもおかしくないですね。
もう何年も会っていない。
紅白歌合戦に親子で出演した際の感動の涙は嘘泣きだった、などと一部週刊誌では報道されていますから、ある程度信憑性のある情報なのではないかと思います。
神田沙也加と松田聖子が不仲で絶縁状態だったのは本当?
神田沙也加さん、ふなっしーと仲が良かったんだよね…。
ふなっしー、ショックだろうな😥 pic.twitter.com/K3QqTRri1D— まゆら (@HarrySliders) December 19, 2021
ここでは、前段で神田沙也加さんと松田聖子さんの確執についてお話ししましたが、お二人の不仲が噂される理由について見て行きたいと思います。
神田沙也加と母 松田聖子の不仲が噂される8つの理由!
神田沙也加さんと母松田聖子さんの不仲説が噂されている理由は以下の8つがあります。
①特殊な幼少期
②継父との渡米を拒否
③いじめで中学校の転校4回
④母松田聖子の熱愛スキャンダル
⑤勝手に活動休止
⑥12歳年上の彼との交際に猛反対
⑦結婚式に招待しなかった!
⑧事務所問題
では、早速見て行きましょう。
①特殊な幼少期
神田沙也加さんのご両親は前述の通り神田正輝さんと松田聖子さんです。
お二人の結婚はメディアに取り上げられ、かなり注目されていました。
結婚式のテレビ放送では、視聴率35%を獲得されたそうですよ。
このように周囲から常に注目されていたわけですから、
・パパラッチから逃れるため、相手が何をしたら違法になるのか勉強させられていた。
・林間学校には母松田聖子のマネージャーが同行
・運動会に松田聖子が来る時には学校が警備員を配備
これでは確かにやりずらかったことでしょう。
他にも、友達からサインやコンサートのチケットを頼まれていたとのことですから、学校生活もままならなかったのかもしれませんね。
②継父との渡米を拒否
神田沙也加さんが11歳の時にご両親は離婚されています。
その後、松田聖子さんは再婚されました。
また、松田聖子さんはアメリカに仕事の拠点を移すことを決定しますが、その渡米には継父も同行する予定であったため、神田沙也加さんは渡米を拒否しました。
のちに「継父と一緒に行くことが当時の私にはすごく抵抗があったから。」とコメントされています。
③いじめで中学校の転校4回
渡米を断り、私立中学に進学された神田沙也加さん。
寮生活が始まりますが、布団が濡らされていたり、下着を盗まれたりと壮絶ないじめに遭います。
そのため一度は母松田聖子の元へと渡米し、現地の学校に編入されました。
しかし、やはり生活が合わず帰国。
その後日本の学校に編入しましたが、2回も転校されたそうです。
中学生の3年間で4かも転校を経験されたというのはかなり辛い学校生活だったのかもしれませんね。
④母松田聖子の熱愛スキャンダル
神田正輝さんと離婚した後、少なくとも4人の方との交際報道がなされました。
神田沙也加さんはまだ学校に通われていましたから、このような報道は辛かったかもしれませんね。
⑤勝手に活動休止
神田沙也加さんは1999年に芸能活動を開始されましたが、2005年に突然活動休止をされました。
しかし、この活動中止について松田聖子さんは何も伝えられておらず、激怒して大喧嘩されたそうです。
当時は神田沙也加さんと松田聖子さんは同じ事務所に所属されていましたから、その怒りも大きかったことでしょう。
⑥12歳年上の彼との交際に猛反対
2005年に、day after tomorrow(デイアフタートゥモロー)のメンバーとしても活躍されていた、北野正人さんとの交際が発覚しました。
そもそもの出会いは楽曲提供を受けたことだったそうですが、北野正人さんはバツイチで12歳も年上。
松田聖子さんがこの二人の交際に大反対し、それがきっかけで破局したそう。
これでますますお二人の溝は深まってしまったようです。
⑦結婚式に招待しなかった!
2017年に俳優の村田充さんと結婚されましたが、この時も松田聖子さんはお二人の結婚に大反対。
結果的に、結婚式に松田聖子さんは出席していません。
報道では、神田沙也加さんが松田聖子さん招待しなかったと言われています。
⑧事務所問題
松田聖子さんが所属していた事務所は、大手プロダクションから独立する際に設立された、「ファンティック」という個人事務所でした。
この事務所は、松田聖子さんの兄が代表取締役で、母が役員という家族経営でした。
しかし、2012年に松田聖子さんが3度目の結婚をしました。
当時、マネージャーだった方とも関係があったと言われており、家族よりそのマネージャーとは縁を切るようにと言われたそうです。
しかし、松田聖子さんは「ファンティック」をやめ、そのマネージャーと「melody fair」という事務所を立ち上げました。
さらに、当時神田沙也加さんも「ファンティック」に所属していましたが、名前を使用しないでほしいという理由から神田沙也加さんも事務所より追い出してしまいました。
これがきっかけで神田沙也加さんは個人事務所「ローブ」を立ち上げたそうです。
ツイッターの声
私がお母さんが好きで私も好きになった曲の1つが松田聖子の赤いスイートピーで。カラオケでよく歌ってた。その聖子ちゃんの子供がさぁやでさぁやの透き通った声好きだった。YouTubeで松田聖子と神田沙也加のデュエット見ると普通に気持ちがやばい。
— 大豆 (@soysoy_3ilk) December 20, 2021
神田沙也加ちゃんのぶらり途中下車の旅、たまたま見てて、ホワイトミートソース食べたくなったの思い出す。
妹と歳変わらないから本当に切ない。
妹が「死にたい」って真夜中にメールしてきて、慌てて家族みんなでなんとかしなきゃって、そんな時もあった。勇気だして言ってくれてよかったと思う。— ALOHA BEAR®︎MAKI💙 (@alohabear_maki) December 20, 2021
誰の娘だとか関係なく、あなたの表情や歌声、豊かな表現力が大好きです。
過去形ではありません。
神田沙也加さんの作品は生きていて、生き続けます。— しゃけこ (@shakekofree) December 20, 2021
神田沙也加さんの活動はアナ雪以外は存じ上げなかったが、改めてアナ雪を見ても歌唱力や表現力が見事だったし存在感が抜群だった。彼女の舞台、観たかったな。ご本人とご両親の心痛を思うと胸が苦しくなる。非常に残念。
— G🇯🇵🇺🇸 (@realoclife) December 20, 2021
お久しぶりです。高1の頃に神田沙也加さんの「ever since」をおススメして聴かせてもらった者です。訃報を聞いて、ふと思い出が蘇りました。沙也加さんを知る事が出来たのは、あの時からです。しかも初めてのお小遣いで買った大切なCDだったのですね。感謝の気持ちを伝えたくて、突然失礼しました。
— アクネス (@aknP_765YCT) December 20, 2021
まとめ
松田聖子さんが心配になりますね。
神田沙也加さん。ご冥福をお祈りします。 pic.twitter.com/ZD3GghOMtq— ぱっちゃんねる (@tweetsugunikesu) December 18, 2021
どうやら、神田沙也加さんと母 松田聖子さんの間には確執があり、不仲であったという説の信憑性は高いようですね。
結婚式にも呼んでいない、渡米に同行せず、日本国内の学校に進学する、などの情報からも親子関係に溝があったのではないかと予想されますね。
神田沙也加さんはご両親どちらも有名な俳優、歌手であり、そのプレッシャーは計り知れないものだったのではないかと思います。
しかし、その功績、活躍は紛れもない事実です。
今後もその活躍の軌跡は残っていくのではないかと思います。
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